doiemonのカルチャーライフ!

気ままなライフスタイル、カルチャーを安全に紹介します。

少年文学 「海のおどりこ」

放課後、直介と太一はそうじをサボって海岸まできていた。 退屈だから。そんな理由で、彼らはよくこの場所にくる。

「家に帰っても、手伝いしろってうるさいんだ」

太一はなるべく遅い時間に家に帰りたいみたいだ。太一の家は漁師の家系で長男の彼は 家業をつぐことになっている。期待されているのだ。

直介も家に帰ったら母が「早く宿題をやりなさい」とガミガミいわれるから太一と同じ 気持ちだった。

近頃の直介はモヤモヤした気持ちが晴れないまま毎日を過ごしていた。

直介をほったらかしにして、太一は波打ち際でしゃがみこんでいる。

「太一、どうしたの?」

直介の問いかけに無反応なまま太一はずっと下を向いている。

彼の目は好奇心にあふれていた。

砂の上に存在していたのは水たまりではなく、 円形にふくらんだ透明な物体。 手で触れようとすると振動によってプルプルと震える。

「なんだろう? これ」

直介の好奇心も増大していった。

なんだか見覚えがあるような、ないような……。

「これ、クラゲかな」

太一は半信半疑に思えた。

「クラゲ?」

直介が思い浮かんだクラゲ本来の姿は水中でユラユラ泳ぐ姿。

「プニプニしてる」

太一はその感触が気にいったようだ。

彼らはすぐにそのクラゲが死んでいることに気がついた。

生気を感じない姿は風の力を素直に受けて、小刻みに震えていた。

勇気をふりしぼった表情の太一は両手でクラゲの死骸を救いあげた。

「おい、大丈夫かよ?」 クラゲには毒があるという。

死にいたることはないだろうが、刺されるとしびれたり、赤くなったりするのは直介も 知っていた。

 

「おっとっと」

マンガのようなセリフを言いながら、太一は砂浜と道路の境界線になっている石段の上 にクラゲの死体をそっと置いた。

「これ、どうすんだよ」

「波に何度も打ちつけられたらかわいそうだからな」

「かわいそうって、もう死んでるみたいだし」

「砂の中に埋めてやるか」

乱暴さと優しさをかねそろえた言葉だった。

「そうだな」

直介も賛成した。

「海の中でクラゲなんて見たことないけど、瀬那津島の海にもクラゲっていたんだ」 太一が言ったことに直介がうなずいた。

確かに夏に海にもぐって遊んでいて、クラゲに遭遇したことはない。

直介はなんだか不思議な気持ちになった。

生まれたころから側にあっ瀬那津島の海のことを自分たちはよく知っていると思ってい た。変な感覚だが、この海がどこかの遠い外国の海とつながっているということもちゃん と信じていた。

砂浜をいくら掘っても、やわらかい砂はクラゲの死骸を埋めてあげるのには適さなかっ た。

直介たちは海岸を出て、丘の公園の砂地に埋めてあげることにした。

公園の地面の感触は粘土質で、手で触ると爪の間に泥が入りこんでしまい、掘るのにずいぶん時間がかかった。

「なんかさっきより小さくなってない?」

ずっとクラゲを手に乗せていた太一ががいうのだから間違いないのだろう。

穴を掘るまでの間、太一が抱えていたクラゲの死骸は水分を失って、しぼんでいるよう に見えた。

「早く入れろよ」

直介は家でペットを飼ったりはしたことはなかった。

生き物に興味がないわけじゃない。

直介は胸のあたりがポッと暖かくなったことを認識しながら、そっと穴の中にクラゲを  置く太一の手を見ていた。

「これで、よしだな」

学校でも家でも怒られてばかり二人だが、不思議と意見が一致して、自然と正しい道を 選択することができる。

残念だが、直介と太一は人の話は聞かないし、勉強もできない。

でも、弱いものをいじめたり、ひきょうなことは絶対しない。

彼らは難しいことは考えていないけど、大切にしなきゃいけないことはわかっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

直介の父、沖井忠直は市役所に勤めていた。

忠直は市役所の廊下に貼られている掲示物を剥がしていた。

最後に手をかけたのは忠直 自身が作成して、発注をかけたポスターだった。

「大人の林間学校」と印字されているカラフルなポスターは瀬那津島の海岸を背景に彩 られている。

残念ながら、応募人数はゼロ。

いったいどれほどの人がこのポスターを見たのだろう。

今年も瀬那津島に観光客は来ない。

広報部のチーフとして島の収益につながる催しを成功させなければいけない忠直のプレ ッシャーはどんどん膨れあがっていく。

おいしい魚と美しい自然が見どころなんて場所は日本にいくらでもあるだろうから、わ ざわざこんな田舎までこようなんていう時間とお金を持て余した人はいないのだろう。  

「今回もダメだったか~」 忠直は体の体温を吐き出すようにいった。

進学や就職で島を出なければいけない人が多く、過疎化が進みつつある瀬那津島の財源 はピンチだった。

二年ほど前に林間学校のために高額な予算をかけて研修センターが建設された。建設が 検討された際は島民は全面的に協力するということだったのに、いざ工事がはじまると島 の老人たちが大反対した。

むやみにやたらに自然を壊すと島の神様のお怒りに触れて、災害が降りかかる。頭の固 い昔の人間はそういう迷信をいつまでも信じている。

その年の夏に忠直は骨が折れるまで島の民家を訪問し、理解を求めるために何度も頭を 下げた。乱暴な人もいて、流すのは汗だけじゃないこともあった。

忠直は決して現代的な考えだけで、建設工事をうながしているわけではなかった。瀬那 津島の未来のため、これから島に残る子どもたちのために少しでもいい環境を作ってあげ たいという気持ちから行動していた。

立派な宿泊施設もそろえた研修センターは無事に完成したが、残念ながらその施設が使 われたことは一度もなかった。

そのために本土から人が遊びにきてくれるように、いい方法がないかと頭を悩ませて、 考えぬいた末に林間学校に決定したのだ。

「これじゃ所長に小言を言われるだけじゃすまないな」

忠直は誰にも聞こえないくらいの声で言った。

ポスターを丸めた束を抱えながら事務所に戻ると庶務の前川さんに声をかけられた。 「沖井さん、電話です」

「誰から?」

「鳥海西洋大学の長谷部教授からです」

忠直の頭の上には、はてなが浮かんだ。

鳥海大学といったら国内でもめずらしい商船学科を持つ、この地方の水産業を支える船乗りを輩出している名門大学である。

もちろん忠直はそんな人物とは面識はない。うっすらと恐怖を浮かべながら受話器を取り、保留解除ボタンを押して、明瞭に声を張った。

「はい、瀬那津島市役所広報部、沖井でございます」

「突然のお電話で大変失礼いたします。私、鳥海西洋大学、海洋政策文化学科の専任教授の長谷部といいます」

「はあ……」

唐突な自己紹介に対して、忠直はあいまいな返答しかできなかった。電話の相手も緊張していて声が震えているのが伝わってきた。

コホンッとのどを整えたあと、声色を変えて、長谷部という人物は話を続けた。

「あの、ずいぶん前にキャンパス内で瀬那津島の大人の林間学校のポスターを見たで すが……」

たった今、はがしてきたポスターのことを言っているのは理解できた。だが、この林間 学校のイベントは参加者がいないので、開催しないことをこれから所長に報告するつもりだったので困惑した。

「あの募集期間が過ぎてしまっているので恐縮なのですが、もし人数に余裕があるのな ら参加することは可能でしょうか?」

忠直は困ってしまい、無言になった。

こちらの事情は何も知らない大学の教授に林間学校のイベントは参加者がいないので開催しないことを告げるか、うそをついて参加を拒むか、いい方を考えれば断ることはいくらでもできる。

参加者がゼロから一人になったところで、現実的に考えて林間学校のイベントを開催す ることはできない。だが、せっかく電話してきてくれた相手にそれを伝えるのは心苦しい と感じた。正直どう答えればいいわからない。忠直は言葉を選ばないとせっかく電話して きてくれた相手をがっかりさせてしまうことを心配した。気の利いた言葉が浮かばなかっ た忠直は間を持たせるために別の質問をした。

「ポスターを見て瀬那津島に興味を持ってくれたんですか?」

「……」 すると、なぜか相手は数秒間無言で返事をしてこなかった。どうしたのだろう。何かま ずいことを言ったのだろうか。

「……息子に、海を見せてあげたくて……」

少し声が震えているように思えた。

長谷部さんという大学教授の「息子に海を見せてあげたい」 という言葉にはドキッと した。瀬那津島に興味を持ってくれる人がいて、忠直はわずかに感動してしまった。  

「あの……」

ところが、感動している場合ではない。林間学校ができないにしても、何かこの人のた めにできることはないかと忠直は必死で考えた。

「問題ありません。ぜひ、瀬那津島に息子さんと遊びにいらしてください。職員一同お 待ちしております」

自分でも信じられないことを言ってしまったと後悔した。

言ってしまったらもう取り消すことはできない。忠直はなんとかしなくてはいけないと 思い、さっきと態度を変えて、ベテランのような対応をした。

「瀬那津島は美しい海だけではなく、山には野鳥や昆虫も多く生息してしています。き っと息子さんも喜びますよ。親子で楽しむことができます」

セールスマンのような口調で忠直は繰り返す。しだいに長谷部さんもうれしそうに相づ ちしてくれて、忠直はすっかりその気になった。

「後ほど瀬那津島の観光案内のホームページに必要事項を記入して、送信してくださ い。こちらからまた案内をお送りします」

忠直の調子は電話を切るまではよかった。

受話器を置くと、五、六人の部署の人間が忠直のことを冷たい視線で凝視していた。み んな何かいいたげが、最初に口を開いたのは一番遠い席の真鍋君だった。

「沖井さん、一体誰を招くつもりですか? まさか玲の林間学校じゃないですよね?」 自分以外の全員が真鍋君の同じことを思っていると忠直はすぐに察することができた。

「自分の息子に海を見せてあげたいなんてロマンがあっていいじゃないですか」

うるさい音を立てて立ちあがった忠直に対して誰もが無反応……。

忠直自身もマズイ状況になっているということにじわじわと気がついていた。

「林間学校への参加希望者ですか? 応募期間が過ぎているのに図々しいですね」

 「参加者一人なんて、開催できるわけないじゃないですか。所長になんて言うつもりで すか?」

否定的な意見が飛び交っていたが、忠直は断固としてゆずらなかった。

「なんとかするよ。これはきっとチャンスだから……」

たどたどしい忠直の発言を信用する人は誰もいなかった。

「やるんだったら、沖井さんが個人的に案内すればいいじゃないですか。私たちは一切 関わりませんから」

追い打ちのように冷たい言葉を投げたのは有馬さんという年増の小太りの女性。女性陣の中では圧倒的な権力を持つ年配の彼女の発言に他二人の女性職員も声を出さずにうなづ いた。真鍋くんより若い連中も無反応であるが、賛成はしていない。

忠直は口をすぼめて軽く息を吐き出し、現在の状況を冷静に捉えた。

 

どうやら自分に協力してくれる人はいないみたいだ。 みんなわかっていない。

本土の有名な大学の教授が瀬那津島の魅力に気づいてくれれば、きっといい宣伝になる のに。

忠直は落胆した様子を悟られないように肩に力を入れ直した。

「この件は私一人で何とかしますよ。所長にも私に一任してくれるようにお願いしま す」

忠直の意思の固さに他の同僚たちは口をとがらせて「がんばってくださいね」、「じゃ あ私たちには関係ないということで」という絶対に手伝わせないでくださいという意思表 示をして席を立ち、昼食を食べにいった。

「もう、お昼か……」

変な緊張状態が続いて胃の中がおかしい。空腹ではあるが、こんな心境だと妻がせっかく持たせてくれた弁当にも食欲がわかない。忠直は日光をさえぎっているブラインドから 外に視線を移した。

天気は良く、太陽の光を受けてキラキラと輝く瀬那津島の海を見て、再び考える。

頭の中を一度、真っ白にする。筋道を立てて、計画を練る。

本土から瀬那津島への移動手段は船だが、定期的に動いているわけではないので、手配が必要なこと。親子一組のために研修センターは使わせてくれないだろ うから泊まる場所も考えないといけない。

忠直は見た目は素朴だが、否定されると頑固に維持を張ってしまうクセが昔からある。

夕方、定時を過ぎたころ、観光案内のホームページを管理している忠直のパソコンに長 谷部さんからのメールが届いた。

 

瀬那津島・観光案内係様

 

この度は無理な要望を聞いていただいて、ありがとうございます。

美しい海がある瀬那津島は私が大学で研究している内容に関連しており、ぜひ訪れたいと考えていました。

自然に触れることが少ない息子も瀬那津島で遊ぶことを楽しみしています。

島民のみなさまにご迷惑をおかけしないように致しますので、どうかよろしくお願いし ます。

長谷部里詩

 

大学の教授らしい、固くて腰の低い印象を受ける文章だった。

高卒の忠直には大学教授というものは想像しにくい職業であった。

昔から聞かされていたのは大学というのは勉強したいことを勉強するところだということ。

ぼんやりと中学と高校を過ごしてきた忠直にとって、瀬那津島に戻って就職するというのは当たり前で、その他の選択肢は浮かばなかった。同じように本土の高校を受験した連中も島に戻るのが大半で、大学に進学するなんてやつはごく一部の成績がとびぬけて優秀な人間だけだった。

長谷部さんのメールにはすぐに返信せずに忠直は席から離れ、所長のいる部屋へ向かった。

ノックをしても判事がなかったので、遠慮をせずに中に入った。

所長はずれたメガネを直さず、ひじをついて、目を閉じていた。所長が居眠りをしてい るのは日常的なことであって、仕事が忙しくない証拠であるので大きな声を出したりはし ない。

忠直はゆっくりデスクに近づいて、所長のひじを優しく叩いた。

「所長、起きてください。ちょっといいですか?」

「……」

反応がさっぱりないので、さらにひじを叩き続けた。

「所長、大事な話があります。例の林間学校の件です」

「あ? ああ……」

所長は苦しそうな声をあげて起きた。まるで怪獣が深い眠りから目覚めたようだ。

首を痛そうに押さえながら、忠直のほうに顔を向けた。

「だいたい予想はついているよ。林間学校の参加者は集まらなかったんだろう?」

忠直は役所内の人間なら誰でも知っている内容をドヤ顔で言われた。

「そのはずだったのですが、先ほど一組の親子から参加希望の連絡がありました」 「えっ、まさか、やるつもりなの?」

ここまでの所長の反応は予想通り。全力で反対してくる所長を身構えて忠直は先陣を切 った。

「鳥海西洋大学のえらい教授さんです。瀬那津島の海をどうしても見にきたいそうで す。なんでも、この島の海には他にはない貴重な資源も多くあるそうで、普段は忙しくて この時期しか島を訪れることができないようで……」

だいぶ話を膨らませて、いかにすごい教授なのか伝えたもりだ。実際にどれくらいすご いかは忠直自身もわかっていない。

いつもなら声がうわずって。「えっ?」っと聞き返されることもしばしばあったが、決 心を固めた後だったので、はっきりと意思を伝えることができた。

「君に任せるのは問題ないと思うけど、大丈夫? 外から人がくることをよく思わない 連中もいるからね」

「はっ、はい……」

所長の悪意のないおどし文句に結局最後は声がうわずってしまう。けど、これで今回の 件は忠直に任せてもらうことが正式に決まった。

さあ、これから忙しくなるぞ。忠直は深呼吸をした。今日は少し残業していこうと思っ た。

忠直の父も島の漁師だった。

厳格で頑固な性格ゆえに勘ちがいをされたり、恨みを買ったりすることも多かった。協 調性もなかったため仕事でもトラブルになってしまうことも珍しくなかった。

兄の恒彦は父のそういったところ態度振る舞いについていけず、中学生になるころには 父と激しいケンカを繰り返した。忠直はその渦中で布団に身を隠してビクビクとおびえる ばかりだった。

兄は高校進学とともに家を離れて、本土の薬品メーカーに影響した。父のようになりた くないと口ぐせのように言っていた兄は血のにじむような努力をして、首席で高校を卒業 した。

本人は開発や研究職を望んでいたみたいだが、専門の分野を学んできた理系のやつらに はかなわないんだと、以前瀬那津島に帰ってきたときに言っていた。

大人になった兄と父はほとんど会話を交わすことがなかったために、昔みたいに言い争 うこともしなかった。

もう何年も前のことではあるが、十代のころの自分の感情や考えてきたことは案外覚え ているものだし、プライドの高い男はいつまでもそういうことを気にしている。兄も完全 に自分が悪かったとは認められないものがあるのかもしれない。

忠直は一人で事務所に残り、残業しながら父と兄の関係を考えていた。

誰もいない事務室は居心地がいい。雑に座って大きな音を出したりしても気にしなくて いいから気楽だ。この時間のほうが仕事に集中できる。外を見るとちょうど日が暮れる複 雑な空が広がっていて、水平線に太陽が沈んでいく途中だった。

夕方になると気温は下がって強い風が吹くのが瀬那津島だ。海の香りがを風が運んでく る。潮風は誰でも微笑んでしまうような優しい匂い。

市役所の出入り口の電灯に虫がたくさん群れて、駐車場の周りの木々からセミの鳴き声 が響く。

忠直は虫が寄ってこないように空いている右手で顔を覆いながら外に出た。車のエンジ ンをかけて、自宅へ戻ろうとした。

忠直は一回だけ深呼吸をした。夏のにおいを体にとりこんで、気持ちが少しだけ新しく なった。すぐに車で走り家路を急いだ。

瀬那津島の海を一望できる海岸線に車を走らせていると、反対側の歩道に数人のランド セルを背負った小学生が見えた。すでに学校からは下校している時間なので、どうしてこ んなところにいるのか、忠直は疑問に感じた。

目を凝らすとその数人のグループの中に息子の直介の姿があった。

車を停めてもよかったが、忠直はバックミラーに映る彼らの姿が見えなくなるまでずっ と目で追っていた。

六年生になって、遊ぶ範囲がさらに広がり、全く勉強せずに毎日島中を自転車で駆け回 っているらしい。

息子が小学校に入ったばかりのころは極度の人見知りで友だちもできず、口数も少ない ことから先生から心配されたこともあった。けど、今では自己主張がしっかりできるよう に成長したことは安心していた。

その成長と反比例して彼は勉強を放棄したらしい。学校生活に余裕ができて、授業を聞 かなくなり、成績は徐々に下がっていった。

忠直は「勉強しなさい」なんて言ったことはないが、息子の今後のことが気がかりであ った。瀬那津島にも中学校はあるけど、将来のことを考えると本土の中学校に通うという 選択肢もあると考えていた。島を離れて全寮制の中学で一人で生活することになるが、そ のほうが直介にとっては良いと考えていた。

瀬那津島の子どもたちは中学校を卒業したら家業を継ぐなどしてすぐに仕事につくのが 大半だ。やはり昔ながらの風習で一度、島を出た人間でも瀬那津島に戻ってきて、貢献す るという暗黙の了解のような決まりがある。忠直も普通科の高校を卒業した後に流される ように島に戻り就職した。地元の人間は瀬那津島に戻れば、仕事を与えてもらえるので心 配はいらない。

島の外で仕事を見つけた同級生にも、もう何年も会ってないし、一生合わないやつらも いるだろう。

幼少期は「パパ」、「ママ」と読んでいたけど、小学生の高学年なってから、呼び方が 「お父さん」、「お母さん」に変わった。きっとまわりの友だちに影響されたのだろう。 

島という普通よりも閉鎖的な場所で育った子どもたちには、外の世界を見てほしいとい  うのが忠直の願いだ。

 家に着く時が遅くなってしまった忠直は焦る気持ちで自宅の玄関に足を踏み入れると、 ちょうど直介が二階の部屋に戻っていくところに遭遇した。

だけど、直介の首根っこをつかむように妻の秋穂の怒声が台所から響いてきた。

「直介、弁当箱も体操着も、出てないわよ」

「あっ、お父さん。おかえり」

反対側から聞こえる恐ろしい声が彼には聞こえていないようだ。

「今日さ、学校で面白い本を借りてきてから一緒に見ようよ」

最近、直介はよく学校の図書室から本を借りてくる。

本の種類は恐竜、宇宙、超常現象などの男の子が好みそうなものばかり。

本を熱心に読むのはけっこうなことだが、勉強もそれぐらいがんばってもらいたいと思う。

「早くしないと、もう弁当も作らないし、洗濯もしないわよ」

二度目の秋穂の声はさっきよりも怒りの感情がこもっていた。

われにかえった直介は話の途中で、「わかった。今出すから」と急いで自分の部屋に向 かった。

台所から居間につながった部屋に入ると妻の秋穂が「おかえり」とむかえてくれた。

この島でよくとれる魚が、わが家の食卓に並ぶことは少ない。妻は魚を料理するのが苦 手で肉や揚げ物が多い。おいしくないとか嫌だとか、そういうことではなく、違和感を感 じている忠直だった。

漁師の息子に生まれたので魚のさばき方や、一通りの料理の仕方は知っている。しか し、秋穂は男性が台所に立つのをあんまり喜ばない。

「直介のことで学校の先生から連絡があったのよ。授業中も掃除の時間も、友だちと関 係ないことを話していて、注意しても全然直らないって。近ごろの宿題も全然でてないっ て」

話の内容に対して忠直はどう反応していいか困ってしまった。

直介の学校での振るまいなんて、親の目が届かない。

息子のことは心配していたが、彼の学校生活は忠直たちの時代とはちがい、簡単に想 像できるものではなかった。

「私のいうことはちっとも聞かないし、一度父親からもいうべきなんじゃないの?」

秋穂はまるで自分は悪くないと愚痴をこぼすような口ぶりだった。

忠直はこの機会に学校のことを注意して、勉強の様子も聞いてみようと考えた。

「お父さん、これ見てよ。ホーキング博士が百年後に誕生する宇宙生物を書いているん だ」

まだ手の付けられていない夕食が乗ったテーブルに大判の本を両手で開きながら、忠直 の前に広げた。

おかずの皿をよけて音を立てたことに、秋穂が顔をしかめた。だが、その本の内容は忠 直の興味をかきたてるものだった。

宇宙には地球とは異なる環境の惑星がいくつもあります。地球のようにたくさんのたく さんの水や緑にかこまれた惑星は多くありません。

ですから他の惑星住む生物は、その環境で生きていくために特殊な能力をそなえて誕生 するのです。

次のページにはゾクッとするような、昆虫の顔をした不気味な生物が日本足で立ってい る。

子ども向け本にしてはやけにリアルなイラストで少し背筋がゾッとした忠直だった。

イラストの注意書きに「これは想像上の生き物です」と書いていた。

安心したのと同時にこんな本に興味を持つ直介のことが心配になった。 忠直も、直介も、並べられた夕食には手をつけていない。

「ねえ、お父さん。これも見てよ」

忠直は申し訳ないと思ったが、仕方なく威圧的な声で直介のおしゃべりをさえぎった

「ちょっと本をしまって、座りなさい」

直介は忠直の声色の変化をとらえて素直に本を閉じた。

「……」

直介も何かを察したようで、無言で待ってる。

「直介、学校の先生から連絡があったぞ。授業中も友だちとおしゃべりしていて、何度 も注意してるって」

「なんだそんなことか」

直介はずいぶんと話の内容を軽視していた。

「おまえ、ちゃんと授業聞いているのか? 勉強についていけてるのか?」

忠直は興味がなさそうにして、仕方なくはしを持ち、食事をはじめた。

「平気だよ。先生が大騒ぎしているだけだもん。宿題もちゃんとやってるよ」

宿題をちゃんとやっているということも忠直にはウソだとわかっていた。

直介のいいわけは不愉快なものにしか聞こえなかった。

「そんなことだと中学に入ったら、もっと勉強がわからなくなって、高校なんて行けな くなるぞ」

「別にムリして高校にいかなくたって……」

「ダメだ。父さんが前にも言っただろう。本土の高校に行けば、将来の選択肢が広がっ て、大学に進学することだってできる。お前のこと考えて言ってるんだぞ」

ほとんど間をあけずに直介ははしをたたきつけて怒りだした。

「どうして大学まで行かなきゃいけんないんだよ」

直介の言い方もずいぶん乱暴で雑な口調でも頑固な意思が感じられた。

忠直には残念ながら直介の質問に対して、答えることができなかった。

大学に進学していない忠直には進学する理由なんて説明することができなかった。 だが、進学したほうがいい。

そう思うのはテレビや新聞が伝える世の中の残酷な変化からである。自分が小さな島の 役場で働いていても社会の風当たりは心地良いものではないという経験からだった。

もっとあの時、こうしていれば……。

何が変わったかもしれない。

正体不明の後悔や劣等感を感じていないといえば嘘になる。

 

息子には自分とちがった道で、もっといい人生を歩んでほしい。

ただ、それを伝えたかっただけ。

小学六年の息子に将来を見据えて勉強しろなんてのは理解できるはずもない。

わかっていたのだが、直介の態度に声をあげてしまった。

「父さんは大学に行ってないから、直介には大学でいろんなことを勉強してほしいん だ」

改めて言い直したころには直介の怒りはすでに沸点を通り過ぎていた。

「……」

何も、何も言葉を返してこなかった。

ちょっと変わった反抗の仕方に忠直はそれ以上は話をすることをあきらめた。

夕食を半分も食べずに、すぐに居間から出て、二階の部屋に閉じこもってしまった。

忠直はため息をついて秋穂の顔を見た。

「私が言っても同じよ」 秋穂の言葉は忠直をなぐさめるような言い方だった。

台所で洗い物をする秋穂の姿をしばらく眺めていた忠直は重たげに腰をあげて、縁側か らサンダルに履き替え、庭に出た。

めずらしく忠直はたばこに火をつけた。 ごくまれに会社の喫煙室を利用する程度で、直介の生まれてからは自宅で吸うことはまったくなかった。

すっかり吐き出した煙が満点の星空の中に消えていった。

 

息子にえらそうなことを言ったものの、忠直は府に落ちない心情だった。

自分も言われるがままに島を出て、高校を卒業して、島に戻ってきた。たった一度だけ この島を離れて他の同級生たちとちがった明確なものを得られただろうか。

一人になると、自問自答をいつまでも続けている忠直だった。

 

振り返ると人生がそれほどいいものだと思えたことはなかった。けど生きてきた中で良 かったと思える瞬間は、秋穂と一緒になったきときと、直介が生まれたときだった。

そのときばかりは自分の人生も捨てたものじゃないと忠直は思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

忠直が勝手に決めた約束の日は訪れていた。

「あいつはまだ寝てるのか?」

「今日から夏休みで、ちゃんと起きてラジオ体操に行ったわよ」

いつもと同じ朝をむかえたいたと思っていたのは忠直だけで、秋穂の説明もどこか素気 なかった。

初対面の人に会うのに緊張気味の忠直は、直介が戻ってきたら今日のことを伝えて、長 谷部教授の息子さんと一緒に遊ぶように提案しようと考えていた。

直介たちはラジオ体操が終わってもすぐに帰らずに、公園のジャングルジムの上で話し こんでいた。

「今日、いこうぜ」

「そうだな、早いほうがいい」

クラスメイトの恭一も同意した。恭一の家も農家だから家の手伝いが多くて毎回遊べる わけじゃない。だけど今日は平気だというので、チャンスということだ。

話し合いというよりは意思の確認だった。

通称「奥沢」と呼ばれる瀬那津島の源流で学校でも限られたやつしか知らない秘密の場 所だ。そこにいけば大きなイワナもねらえるくらい人の手が入らないところだ。

「じゃあ、一度家に帰って準備したら、登山口の看板前に集合な。いいか奥沢に行くな んて余計なことはしゃべるよ」 走って家に戻った直介は朝ごはんを食べながら、秋穂に昼食のおにぎりをにぎってくれと頼んだ。

「直介、今日はどこにもでかけないで、家にいてくれないか?」

食卓に直介がいるとわかった忠直は歯ブラシをくわえたままの非常に聞き取りにくい声 で話した。

「えっ?」

本当は聞こえたような気もしたが、直介はも一度、聞き返した。

「今日、島にお客さんがくるんだ。子どものお客さんもな。だからお前たちに友だちに なってほしい」

「ダメだよ。もうすぐ出かけることになってるんだ」

直介は忠直のお願いを拒んだ。口に出して説明することはできないが、奥沢に行くこと がさっき決定したのでどうしても「いいよ」ということはできなかった。

「どうしてだよ、夏休みなんだろ。みんなで遊べばいいじゃないか?」

「そうはいかないんだよ」

しつこい忠直に直介は反抗的な態度を示した。

全く動じなく、忠直も大きな声を出してきた。

「遊びの用事なのか?」

「えっ?」

「遊びの用事なのかって聞いてるんだ」

「うん。そうだけど」 直介はおそるおそる返事をした。

「じゃあ、だめだ」

「はっ?」

直介の態度に忠直はさらに怒りを噴き出した。

「遊ぶ友だちを選ぶようなやつはダメだ。お前は今日、一緒にきて、手伝いをしてもら う」

「はっ?」

「もし、できるなら、みんなにもきてもらえ」

直介は怒られて、ふさぎこまれた自分の状況をやっと理解した。

「直介、あんた最近遊んでばっかりでしょ。お父さんの手伝いしてから遊びに行けばい いんじゃないの?」

秋穂も食卓の空いた皿を片づけながら言う。

直介は母親に助けを求めたかったが、どうやら手助けはしてくれないようだとわかっ た。

太一たちと約束してるんだと言えるような空気ではなかった。

忠直の怒り方はいつもジワジワとためこんだ怒りを急に爆発させる。今日もこの展開で 勢いに任せて怒られたようで納得がいかない直介であった。

すぐにでも太一と恭一に行けなくなったと連絡しなきゃと思ったのだが、仕事場に出か けようとしている忠直がいつまでも玄関で準備をしていた。

「いったん出るけど、役場から港に向かうときにまた寄るから、準備しておけよ」

直介は返事をしなかった。ガラガラっと玄関の扉の音が響いた。

 

秋穂は直介の困った状況などしるよしもなしに淡々と家事をこなしている。

直介は黙って出ていこうかと、何度も考えたが、踏みとどまった。きっと後になって、後悔するんじゃないかと変なカンが働いた。

おとなしく待っていようと決めたのだが、同時に太一と恭一の顔が頭に浮かんだ。

時間を持て余してしまった直介は忠直が戻ってくるまで何度も壁かけ時計の時刻を見て いた。そのたびに二人に対して申し訳ない気持になった。ため息を漏らした数秒後に忠直 が運転するワゴン車の排気音が聞こえてきた。

「おい、すぐに港に行くぞ。乗れ」 あきらかに直介は不機嫌で、車内の空気は悪く、忠直との会話はない。

いつも人気のない船着き場が、めずらしくにぎわっている様子で、直介は車から降りる と強い海風に顔をあおられた。

客人はすでに連絡船から防波堤に降りていて、港に居合わせた何人かの漁師たちに歓迎 されていた。

島の人間らしくない恰好。一目で長谷部さん親子とわかった。

「長谷部さん、この度はようこそ瀬那津島へいらしてくださいました。お待ちしていま した」

忠直は早足で客人の親子にかけより、頭を下げて握手を交わした。

「無理なお願いを快く受けていただきありがとうございます。お世話になります」

長谷部さんは教授という堅苦しい感じでなく、気さくな印象を受けた。長谷部さんのす ぐうしろから、男の子にしては長い髪の少年がひょっこり姿を現した。

「こんにちは、長谷部裕也です」

ボソボソとした声と同時にぺこっと頭を下げた。直介よりもやや身長が低い少年だった。鮮やかな紺色のポロシャツとしわのないズボン。華奢な体に見えたが、脚も長い。

「こんにちは、裕也君って言うんだ。家にも君と同じくらいの息子がいるんだ。一緒に 遊んであげてね」

忠直の表情は誰が見てもわかるように顔がぎこちなくひきつっていた。

「あちらに車を停めてあるので、民宿まで案内します。荷物を持ってこちらにどうぞ」

大きなキャリーケースとボストンバッグ。裕也はドラキュラのキャラクターが描かれた リュックサック。

忠直は車に乗っている直介のふてくされた態度を注意するのはやめて、お客さんを紹介 することにした。

「島に観光にきた長谷部さんと、裕也君だ」

直介の視線はすぐに裕也のほうに向けられていた。

「よろしく」

忠直にうながされた裕也は小さな声だあいさつしながら車の後部座席に乗りこんだ。

「直介、裕也君だ」

「うん……」

あいまいな返事。

自分から何も話そうとしない直介。機嫌が悪いのが手にとるようにわかる。

「裕也君。今から通る海岸線から見える海は最高だよ」

すぐに雰囲気を取り繕うように忠直は会話を続ける。

「釣り竿を持ってきたんですけど、ここの海ではどんな魚が釣れるんですか?」

「瀬那津島は魚の種類がすごく多いんだよ。防波堤ではシロギスやクサフグがたくさん 釣れるし、砂浜から投げればメジナも狙えるし、岩場からはイシダイやクチグロもいるん だ」

「フッ!」

ほんの一瞬だが、直介が誰にも気がつかないほどに鼻息を吹いた。

「仕掛けやポイントは直介に聞けばいい」

直介がやっぱり反応しないまま、車のエンジン音が響いた。

「これから向かう場所は?」

長谷部さんは明るく忠直にたずねた。

「私の友人が経営している民宿へ向かっています。おいしい魚料理も期待していいです よ」

「それは楽しみだ」

大人同士の会話は弾んでいるようだ。

心配になるほど後部座席の子どもたちの会話は聞こえてこない。直介はだんまりを決め こんでいて、裕也はそれに首をかしげていた。大人たちが民宿の責任者とあいさつしてい るうちに直介はさっさと車を降りた。

「クサフグは釣果に入んないだろ」

皮肉たっぷりの言い方で、裕也は直介のピリピリした態度に困惑していた。

自分の思い通りにならないことに心底腹を立てていた直介はこの場所から勝手に集合場 所に向かおうとしていた。

釣り具はもういいや、とにかく早く行かなきゃ……。

直介はとにかくこの状況を強行突破しなくてはと思って、ゆっくりと民宿と反対方向の 道路に歩きはじめた。

「直介!」 直介の鼓膜に忠直の声が突き刺さった。

爪が甘かったと後悔するのはすでに遅くて、直介の前に忠直が立ちはだかった。

「お前、勝手に行こうとしただろ」

「別に……」

直介は平然を装っている。

忠直は直介が考えてることがわかっていた。

「遊びに行くんなら裕也君も一緒に連れていきなさい」

「えっ?」

直介は自分のたちの計画によそ者を受け入れるつもりはなかった。けれど、絶対に嫌だ だなんて言えるような雰囲気ではなかった。

「友だちと遊ぶ約束していたんだろ。裕也君も一緒に遊んだらいい」

だいたい想像した悪いことはその通りになると頭の中で直介は思った。

それに急によそ者を連れていったら太一と恭一がなんていうか。

遅れたうえによそ者を連れてきたなんて言えない。けど、自分の前に仁王立ちする忠直 に「イヤだ」とも言えない。

「わかったよ」

苦渋の選択を強いられた直介は友人たちの苦い顔を想像しながら、忠直の提案に納得した。

自分が一番この計画に乗り気だったのに、時間通りに集合場所に現われないことに後ろ めたさを感じられずにはいられなかった。

車が来た道を戻って海岸線に出る。

集合場所の登山口看板前はここからだと距離がある。

 

二人は並んで歩いた。

普通の小学生なら、歩きながら学校のこととか、勉強のこととか、将来のこととか、そ んなことを話すのだろうが、この二人は何を話せばいいのかわからず無言で歩き続けてい る。

自分たちの小学校の前を通っても直介は紹介なんて子供らしいことはしなかった。

「学校?」

直介が答えるのがめんどうだと思っていることを裕也は聞いてきた。

「ああ」

さらに学校を越して丘の上に登ると直介たちが今朝ラジオ体操で集まった公園に着い た。

直介は公園のブランコをだるそうに揺られている小学生二人の姿をとらえた。 太一と恭一だ。釣り竿も近くに立てかけてある。

「あっ」

まちがないない。太一も恭一もこっちに気がついた。

太一はすぐにブランコから飛び降りて、こっちに向かってきた。

「お前、今何時だと思ってるんだよ」

太一は威圧的な態度で二人につめよる。

「ごめん、親の用事につき合わされてさ」

直介の言い訳の途中で太一は後ろの少年に気づいた。

「誰だよ。そいつ」

「今日、瀬那津島にやってきた長谷部裕也君」

裕也もしっかり頭を下げたのに太一は反応しなかった。

「お前、よそ者連れてくるために遅れたのかよ」

太一は怒りを直介にぶちまけた。

その大きな声に恭一もすぐに直介たちの側にやってきた。

太一の怒りに何も言い返せない状況を察して恭一が助け船を出してくれた。

「そう怒っても仕方ないだろ。今から奥沢に行ってもムダだから防波堤で釣りしよう ぜ」

太一はうなずきもせずに公園の出口へ歩いて行った。

太一の態度に委縮している裕也に恭一は気さくに話しかけた。

「瀬那津島には何の用事できたの?」

「お父さんについてきた」

裕也の声はまだ緊張していた。

「市役所で毎年観光客募集しているんだ。うちの父さんがその行事の担当」

「瀬那津島でそんなイベントあったんだ」

「毎年誰もきてないみたい」

直介は残念そうに言った。

 

結局のところ四人は夕方になるまで防波堤で釣りをした。

太一と恭一は海釣りのやり方をよく知らない裕也に一生懸命やり方を教えていた。

いつの間にか、太一の機嫌もすっかりよくなってる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日のラジオ体操に太一と恭一はこなかった。家の手伝いがあるらしい。

なので直介は裕也を島の浜辺に連れてきた。お互いの父親は、子どもにとっておもしろ くない話があるというので、車で一緒に民宿に連れていかれて、そのまま二人で遊んでと 言われたが、昨日ほどイヤな気持ちではなかった。

浜辺にきた理由は特になかった。

「ここで釣りをしたら何が釣れるの」

「ここらへんは防波堤と離れてないから生息する魚はあんまり変わらないと思う。海水 浴場として整備されているからここで釣りはやらないんだ。もうちょっと進んだ岩場から 投げ釣りするとメジナやシロギスが釣れる。桟橋の上からはアカメがねらえるんだ」

直介も昨日の態度とずいぶんちがく、本当に気さくに話していた。

「魚のポイントってどうやって調べるの?」

裕也君の突然の質問に直介はたじろいだ。

「調べたことなんてないよ」 「それってどういうこと?」

「小さい頃から親といっしょに釣りをしているから勝手に覚えた感じかな」

「すごいね」

「この島で生まれればそうなるよ」

「じゃあみんなすごい特技を持ってるんだね」

すごい特技……。直介はそんなふうに考えたことはなかった。

島の小学生はほとんど同じ遊びをしている。釣り、海水浴、虫取り、森や山の探索。誰 かの家に集まってテレビゲームなどはほとんどやらない。

「いつもどんなことして遊んでるの?」

直介も裕也のことを聞いてみたかった。

「学習じゅくや、スポーツクラブがあるからあんまりクラスの友だちと遊べないんだ。 たまに父さんがアスレチックや釣り堀に連れて行ってくれるけどね」

同じ小学六年なのに全然ちがう過ごしかたをしていることに直介はおどろいた。

砂浜を散歩していると道路側の階段から大人が下りてこっちに向かってくる。

「父さんだ」

「やあ、ここにいたんだね」

「父さん、何しにきたの?」

「父さんも瀬那津島那の海をしっかり見たいと思ってね。さあ、直介君に案内してもら おうかな」

「あっ、はい」

直介は急に力のこもった声になる。

三人で砂浜を歩くのは変な感じだった。

やがて波打ち際の近くで、見覚えのあるものが目に入った。

視界にふと入る小さな水たまり。

祐也も気がついて目を大きくする。

「これ、なんだろう?」

祐也は不思議そうに下を見る。

「これ、この前も見つけた。たぶんクラゲだと思う」

直介はは素直に自分の推測を伝えた。

「クラゲの死がいだね」

長谷部さんも二人の上からはのぞきこんでいた。直介は長谷部さんが大学の教授でいろ んなことを知っていることを思い出した。

「おじさん、これってやっぱりクラゲなの?」

直介は声の強さを変え質問した。

「うん、きっとクラゲだね」

「なんて名前のクラゲなの?」

直介の質問は答えを急いでいた。

「これだけじゃちょっとわからないな。資料や写真とくらべてみないとね。この砂浜に クラゲはよくうち上がるのかい?」

「砂浜にうち上げられたのを見るのは初めてなんだ」

「めずらしいことなんだね」 長谷部さんは直介の焦る様子に納得したようだ。

「おじさん、調べてほしいんだ」

直介は必死に伝えた。

「うん、戻ってどんな特長を持ってるか調べてみようか。私が持ってる資料の中にあれ ばいいけど」

 「お願いします!」

直介はいきおいよく頭を下げた。

祐也は自分の携帯電話を取りだして、クラゲの死がいを写真におさめた。するとすぐに ゆるい波がクラゲ死がいをさらっていった。

 

長谷部さんはこのクラゲの正体を知っているんじゃないのか。直介はなんとなく、そん なことを思った。

すぐに裕也たちが泊まっていた民宿で、長谷部さんの資料を見せてもらうことになっ た。

直介と裕也が民宿の休憩スペースで渡された数枚の紙の資料を眺めている間に、長谷部 さんは自分のパソコンをいじってる。

裕也の携帯電話に写しだされたクラゲの写真に似ている写真は見当たらない。

「見つかったかな?」

ニヤリと笑う長谷部さんはやっぱり何かを知っている。

「う~ん。わからないなあ」

声を出した裕也もおてあげ状態のようで、直介も同じだった。

「こっちを見てごらん」

そう言って長谷部さんはパソコンの画面を二人に向けた。

そこには黒い背景にクラゲが深海を泳ぐ姿が映されていた。

とても神秘的な写真で直介は引きこまれる感覚だった。

おわんのようにふくらんだ生物の体。つややかにのびる触手。さっき砂浜で見たクラゲ の姿に似ていた。

きっとこのクラゲにちがいない。直介は確信した。

写真の下にはクラゲの種類、生息地、特徴を記されているようだった。

「名前を読んでごらん」

直介と裕也君は声をそろえてその文字を読み上げた。

「ヤコウチュウ」

「これがさっき砂浜で見たクラゲ?」

「そうみたいだね」

直介はやっぱり長谷部さんはクラゲの正体を最初から知っていたんじゃないかと思っ た。

「さっき君たちが見たのは残念だけど死んでいたね。ひょっとしたら砂浜に打ちあげら れるまでは生きていたかもしれない。クラゲは身体の半分以上が水分でできているから 水分を失ったら生きていけないんだね」

長谷部さんの言葉で彼らは少し悲しそうな顔をした。

「さて、問題です。このクラゲには普通のクラゲとちがった特徴があります。それは何 でしょう?」

「夜間に青白く発行するって書いてある」

直介は写真の下の文章の続きを読んだ。

「クラゲって夜の間は光るの?」

「いや、全てのクラゲが光るわけじゃないんだ。クラゲの種類はとっても多いけど、体 を光らせることができるのはごくわずかな種類に限られるんだ」

「どうして?」

「いい質問だね」

直介はなぜ「いい質問だね」と言われたことが理解できなかった。 「ホタルは見たことあるかい?」 もちろんホタルだって瀬那津島にたくさんいる。

「ホタルはどうして光るか知っているかい?」

二人は首をかしげるだけで、声を出さなかった。

「よし、じゃあ説明するね」

気合を入れ直した長谷部さんはパソコンのが画面を切り替えて、ホタルが葉の上でおし りを光らせている画像を見せた。

夏の夜に光を放つホタルは何度か見たはずだが、そのパソコンの画面に映ったホタルの 写真は直介の頭の中にあるものと一致しなかった。

静止画は自然界でも見るものとちがって、画面の光がホタルを光らせているようで直介 は違和感を感じた。

「ホタルは仲間に自分のことを知らせるため、ホタル同士の信号を送ってるんだ。でも ホタルは地上の生き物だろう。地上よりも海の中のほうが発光する生物が圧倒的に多い。 生物の発光するしくみは自力発光、強制発光の二種類に分けられる。このクラゲは自力発 27 光で自分の体を光らせている。自力発光っていうのは生物の体の中の物質同士が結びつい た科学反応なんだ」

長谷部さんの説明は難しくて、直介の頭では全部理解できなかった。

「このクラゲは夜光虫と言って、全国各地のきれいな海に生息するクラゲなんだね」 「ヤコウチュウ……。変な名前」

直介と裕也君は一緒になって笑った。

「直介君は夜の海を眺めたことはない?」

「ないわけじゃないけど」

夜の浜辺や防波堤を出歩くことを子どもたちは小さいころから禁じられている。もちっ ろん直介らは守っていないが。多くの大人が夜の海に出ててはいけないというのは危険だ からだ。

「夜光虫が光る姿を見てみたいと思わないかい?」

長谷部さんはむじゃきな顔で二人にたずねた。

「うん。見たい」 二人とも声をそろえた。

「じゃあ、どうすればいいか考えてごらん。おじさんは生物の研究をしているけど、教 えてあげられるのはここまでだ」

「えっ、見せてくれるんじゃないの?」

「そんなに甘くはないよ。夜光虫は瀬那津島の海にいることはすでにわかっているんだ から、後は自分たちで考えるんだよ」

「そんな~」

直介はなさけない声を出した。

「友だちも誘って、みんなで協力してやってごらん」

長谷部さんはそう言って、そそくさとパソコンを閉じた。

「とりあえず海に行ってみようぜ。手がかりを探そう」

「太一君と恭一君も誘って、一緒に探してもらおうよ」

裕也なりの配慮だった。

「家に帰ったら電話してみるけど、あいつら忙しいからなあ」

直介はめんどくさがった。

「そっか」

裕也は残念そうに言う。

「クラゲってどこにいるのかな?」

「そりゃあ、海の中だろ」

「そういうことじゃなくて、海のどんなところにいるのかなって」

どうやら裕也は冷静に分析する能力があるようだ。

「岩場とかでもぐったら見つかるかな?」

「じゃあ、岩場に探してみようか?」

「そうだな。行ってみるか」

直介は裕也君と並んで歩いた。岩場まではけっこう距離があるし、気温もどんどん上が っている。汗をかいて岩場まできたのに、強い日差しのせいで潮が引いていて、水がほと んどひあがっている。

「う~ん。ダメだな。こんなんじゃ、見つかんないな」

「簡単には見つからないね」

「やっぱり砂浜にしかいないのかな……」

あてもなく歩くのは、もうイヤだと二人は感じていた。

「あっ、そうだ」

直介は明暗を思いついた。

「図書館に行けば海の生物の図鑑があるかもしれない」

「そうだね。きっとあるよ。行ってみよう」

直介は学校の図書館も、島の図書館も大好きでよく、本をかりにいくことを裕也に話し た。

「ぼくもよくいくよ。あんまり図鑑とかはみないけど」

たどりついた図書館の中はずいぶん涼しく、その心地良さを二人は堪能していた。

窓から見える草木は太陽の光から逃れられず、かわいそうなくらい暑そうだ。

直介と裕也は大判の分厚い図鑑が並べてある窓際の本棚で、水生生物の図鑑を開いて、 クラゲを探した。

図鑑を見ていくと、発光する生物はクラゲ以外にも多く存在することがわかった。

「あんまり詳しく書いてないね」

「まあ、でも夜の海で粘り強く、探してみるしかないな」

詳しい情報は得られなかったが、二人はあきらめるつもりはなかった。

お昼近くに直介の自宅に戻ると、居間から数人の大人の声が聞こえた。長谷部さんの声 も聞こえてきた。直介の両親と丸いテーブルを囲んで冷たいお茶を飲みながら談笑してい る。

「おう、帰ってきたか。聞いたぞ、クラゲを探してるんだって」

忠直がすぐに二人を迎えた。秋穂がすぐに二人の麦茶を用意しに台所に向かった。

「何か見つかったかい?」

「海岸を探して、岩場にも行ったんだけど全然ダメだった」

直介は手振りを加えて答えた。

「図書館にも行ってきた」

裕也は回ってくる扇風機の風にまばたきしながら言う。

「ほう、まずは情報を集めてきたんだね」

「でも、調べてもよくわかんなかった」

裕也は残念そうに言う。

「誰か島の漁師さんに聞くことができればいいんだけどね」

会話を聞きながら出された麦茶をいきおいよく流しこんでいた直介は急にひらめいて、 飲み干したコップを力強くテーブルに置いた。その衝撃音に全員が固まった。

「漁師だ……」

直介がポツリと言った。裕也は首をかしげている。

「いつも海に出てる漁師の人に聞いてみればいいんだ」

「どういうこと?」

「太一だよ」

身近にくわしい人がいた。立ち上がって玄関に向かう。

「また出かけるのか、忙しいな。お前たちは」

忠直も感心している。

二人とも急いで靴をはいて外に飛び出した。

防波堤近くの太一の家に訪れた。玄関から出てきたのは太一の母で、太一のことをたず ねると、父と一緒にに出ているはずだと聞かされた。

防波堤に向かっても太一の家の船は見あたらなかった。

二人は船着き場のビットに腰をおろして休憩することにした。

「船、いないね」

「夕方には港に戻ってくるっておばさんは言ってたから」

「あっ、防波堤にもけっこう魚がいるんだね」

裕也はいつの間にか立ちあがり海辺をのぞきこんでいる。

「落ちるなよ」

「ねえ、ここにクラゲはいるかな?」

「どうかな」

直介は腕を組んで首を傾げる。

「夜にもう一度きてみようよ」

裕也はずいぶんはしゃいでいた。

 

夕方、陽が落ちる前に太一の乗る船は船着き場に戻ってきていた。

直介たちが待ち伏せていることに気がついたすぐに太一は二人の場所にかけよってき た。

「おまえら、こんなとこで何やってんだ?」

「太一君、おかえり」

裕也が太一に明るくあいさつした。

「おう」

「太一君はもう立派に仕事をしているんだね。すごいね」

「別にそんなんじやねえよ」

太一は照れてながら言った。

当たり前に家の手伝いをすることが、

「すごい」という裕也の発言には直介もあんまり 理解できないと思った。

「なあ、太一。

船の上からクラゲって見たことあるか?」

「クラゲ?」

二人がなぜクラゲを探しているのか、ピンときていない様子の太一。

「光るクラゲを探してるんだけど、ヤコウチュウって知ってるか?」

「ヤコウチュウ?」

「夜の海で光っているものとか見たことないか?」

「う~ん。見たことないと思う」

「そうか……」

太一は思い出しながら答えたが、どうやら二人が期待した解答ではなかった。

太一にはまだ手伝いが残っているようで、遠くから太一の父が「早く手伝え」と声をか けた。

本当は太一のお父さんにも話を聞いてみたかったけど、なんだかピリついているように 見えたので、今回はやめておいた。

「あっ、もういかなきゃ、じゃあな」

「太一君。夜も浜辺にヤコウチュウを探しに行くから、もし手伝いが終わったらきてほ しいんだけど」

「おう、わかった」

走って戻ろうとする太一に裕也が呼びかけた。

この間のやりとりで、裕也から太一にこんなことを言うなんて信じられないことで、み んなが裕也のことをちゃんと友だちだと認識いていると感じた直介だった。

「太一に聞いてもダメだったな。で、夜も探しにいくわけ?」

「もちろん、夕飯を食べたらすぐにゴーだよ」

直介は、どうせ夜にきてみてもダメだろうと考えていた。だが、裕也は全くその心配し ている様子はなかった。

少しめんどうだと感じていた。

 

夕飯を食べたら防波堤に集合。

太一にそれぞれ電話をかけたら、「了解」とだけ返事を返してくれたので、直介も急いで夕食を食べて支度をすませた。

恭一にも電話をかけたのでが、家の用事で無理だと言われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜の防波堤は昼間とは違った風がふく。まれに生暖かい風がふくことがあり、 直介た ちの間ではその不気味な現象ををおばけ風と呼んでいた。直介が暗がりの深い砂浜に下り ると、すでにきていた二人のシルエットだけが見えた。

「ヤコウチュウいたか?」

波打ちぎわギリギリで海面をのぞきこんでいる二人に皮肉っぽく聞いた。

「ダメだね。夜の海にもいないみたい」

裕也は残念がっている。

太一にも昼間ずいぶん探しまわったことを話したらしい。

「光るクラゲなんてホントに瀬那津島にいるのかな……」

直介も落胆している。

太一は意味もなく、どこからか拾ってきていた石を力強く海へ投げた。石は孤を描いて 数メートル先の海面に落ちて水しぶきをあげて落ちた。踏みこんだ足元から砂ぼこりが起 きて、直介たちの視界をさえぎった。

「うわっ」

砂が顔まで飛んできた直介ははあわてて砂ぼこりを手で払った。しかし、裕也はそんな 二人の素振りを気にせず、海の遠くを見ていた。

「何か光ったかも」

海面の不思議な発光を裕也だけが見逃さなかった。

「えっ、どこ?」

「あっちのほう」

裕也が指差した場所は、ほんの数メートル先だった。

「ヤコウチュウかな?」

「わかんない、でも……」

裕也の発言はあいまいで、みんなに伝わっていない。

「どのへんだよ? このへんか?」

太一が前のめりになってバシャバシャと海へ入った。サンダルだった太一はなんともな かった様子だった。直介も続いて靴が濡れることなんておかまいなしに海へ入っていく。

二人のマネをすることができなかったのは裕也だ。

靴が濡れてしまっても母親に怒られるだけ。二人にとっては日常的なことであった。 けど、裕也にとってはそれは後ろめたい行為であった。

「おい、裕也?」

そのなんでもない行為を躊躇している裕也に二人は少し困惑した。彼らにとって普通で あることが裕也にとっては勇気のいることだった。

直介は立ち止まって裕也を振り返った。

「……ムリすんなよ」

精いっぱいの直介の言葉。

「うん」

息を飲みこんだ裕也の声。ゆっくりと歩を進める。

二人は勇気を振り絞った裕也の姿をじっと見つめる。

すぐに裕也の靴は波に飲まれ、足元を覆った。

「冷たい!」

裕也は笑いながら叫んだ。自然に笑みがこぼれていた。

子どもたちにしかできない絆の深めかた。それは大人には理解できない。わざわざ「友 だち」や「仲間」なんて言葉は使わない。そんな必要がないからだ。

三人は裕也の見た光の正体を探るために、バシャバシャと音を立てて、夜の海をさわが しくした。するといくつかの不思議な光が彼らの足元を包んだ。

「わああ」

「おわ!」

水の中で神秘的に青白い光を放つのはまちがいなくヤコウチュウだ。

「これだろ。ヤコウチュウって」

「すごい。すごいね」

直介も、裕也も、太一も興奮している。何度も大げさに足踏みをして水しぶきを起こし てヤコウチュウを刺激した。

危険を感じたヤコウチュウの群れはすぐに直介たちのもとを離れていった。

「やっぱり瀬梛津島の海にヤコウチュウはいたんだ」

「大発見だな」

直介と裕也がよろこんでいる。

「なんで光ったのかな?」

裕也は大事な疑問点をしっかりととらえていた。

「石だよ。石を投げておれたちが海の中で音をたてたからヤコウチュウがびっくりして 動いたんだよ」

直介がそのカラクリをすぐに見抜いた。

「ヤコウチュウが眠っているときは光らなくて、動くときに光るってことか」

太一もめずらしく頭の回転が早い。

「ねえ、防波堤にもヤコウチュウいるかな」

裕也は期待しながら言った。

「よっしゃ、今から行って確かめようぜ」

みんな太一に続いて海から砂浜へとかけ戻った。

夜の防波堤に向かう途中、裕也は海水がしみこんだズボンで歩きにくそうにしてた。け ど、その時間が最高に楽しくてずっとゲラゲラわらっていた。

「待ってよ~」

裕也も調子にのって変な声をだしていた。

防波堤から海面を見ても夜じゃほとんど何も見えない。日常的に家の手伝いで海に出て いる太一はそのことをわかっていたようで、海に投げるための手頃な石を探していた。

「おし、おまえら。下がれ、危ないぞ」

「太一、落っこちるなよ」

太一はさっきと同じ要領でなるべく遠くへ飛ばすように力をこめて海へ石を投げた。 ボスンッと音が静まりながら、石はむなしくしずんでいく。

「これじゃ、ダメだ。もっとたくさん石投げてみないと」

太一はこれくらいじゃあきらめない。

「おれたちもやろう」

直介の提案に裕也も恭一もうなづいた。

やがて、投げこまれた石によって何匹かのヤコウチュウの発光を見ることができた。 直介と並んで歩いていた裕也はズボンのポケットから鳴る音に気がついて何か取り出し た。

「お父さんからだ」

そう言って折りたたみのケータイ電話を開いた。

「もしもし……」

裕也は当たり前にケータイ電話で話しているけど、直介の同級生では信じられない光景 に少しおどろいて、顔の動きが止まった。ヤコウチュウを発見したことを興奮気味に長谷 部さんに伝えている。

「おまえさ、ケータイ電話持ってたなら、海に入っちゃまずかったんじゃないか?」

「でも、足元しかぬれなかったから大丈夫」

裕也は直介の質問にほこらしげに答えた。

「写真取りたかったな~」

裕也はさっきのことを思い出しながらうれしそうにほほえんだ。

「写真取ってどうするんだ?」

「お母さんに見せてあげたかった」

「そっか、お母さんはどうして一緒に瀬那津島に来なかったんだ?」

「お母さん病気で入院してるんだ。だからヤコウチュウが光ってる写真を見せたらよろ こぶと思うんだ」

直介は言葉を返さないまま、裕也の視線の先にある満点の星空を見上げた。

 

直介が昨日の夜からずっと考えていたことは、どうするれば、一度にたくさんのヤコウ チュウを動かすことができるか、であった。 直介は裕也の携帯電話の番号にかけた。

「裕也、せっかく瀬梛津島にきたんだからヤコウチュウの写真取りたいよな」

「うん……」

「本当だな」

「うん」

裕也はさっきより強く返事をした。

「図書館に調べにいこうよ」

今度はクラゲじゃなくて、ヤコウチュウを図鑑で探せばいい。

たった数日で裕也にとって直介は特別な存在になっていた。どの同級生ともちがう経験 をしてきた友だち。裕也はすでに直介から大きな影響を受けていた。

「あったよ」

今度はあっさりと見つかったことにおどろいた直介は裕也が開いたページをのぞきこん だ。

ヤコウチュウ。

海の中で体を揺らしながら生息している。青くチカチカした光を防波堤や波打ち際で 見かけたら、ヤコウチュウが存在している証拠です。エサは一般的なクラゲと同様でオキ アミでや小魚、プランクトンなどを捕食する。

「あっ、これだ」

裕也は説明文の最後の部分を指さした。

「エサはオキアミ、小魚、プランクトンだって」

「オキアミだったら釣りエサに使うから、買ってくれば用意できるな」

直介は勝ちほこったような表情で言った。

「眠っているヤコウチュウにエサをあたえたら、食べるために動きだして、発光するっ てことだね」

「エサでさそいだす作戦だな」

「あれ? でも、どうやってエサやるの?」

「えっ?」 さっきまで笑顔だった二人の表情はいっきにくもった。

「ヤコウチュウは夜の海で光らないと、写真にはとれないよ」

「誰かが海に入ってエサをやるしかない」

「そんなのムチャだよ。死んじゃうよ」

裕也のいうとおり。夜の海に入るのは危険だし、親たちが全力で止めてくるだろう。

「どうしよう……」

この問題は頭を抱えるほど難しかった。

「船だったらエサをまくことができるんじゃない?」

「そうだ、船の上からだったらできる」

直介もその提案に同意した。

「でも、どうやって船を準備しようか?」

考えても答えがでそうになかった。クラゲの写真をとるためだけに船を使うなんて大人 たちは絶対に許してくれないだろう。自分たちの力で説明して理解してもらわなければ… …。

直介と裕也は計画が実行できるかわからない不安を感じた。

船の手配は絶対に大人の力をかりなければいけなかった。黙って漁船に乗ったりして事 故でも起こしたら大問題になる。

直介たちには理解してくれる大人が必要だった。一番最初に相談したのは、日常的に漁船に乗っている太一だ。しかし、太一も漁の手伝いをしているというだけで太一が船を自由に使っていいわけではない。でも、太一には裕也のために力をかしてほしかった。

決心した直介は夕方にまた太一を呼びだして説明した。

「たのむ、太一。船をかしてくれるように頼んでくれよ」

「んなこと言われても……、そんな危ないことに使うっていったら父ちゃんにブン殴ら れるよ」 太一はめずらしく困った顔を見せた。

「船から石を投げるつもりなのか? それだとこの前と同じなんじゃないのか?」

「石じゃなくて、エサをばらまいてさそいだすんだよ」

直介は理解していない太一に怒鳴るように言った。

「船の上から手でばらまいだって同じだよ。ヤコウチュウはちょっとしか反応しない よ」

その言葉に直介も裕也もハッとする。

「何か道具を使わないとムリそうだな」

腕を組んで真剣な顔をした太一は、そのまま納屋の古いパイプいすに深く座りこんだ。

「ああ~」

その瞬間、バランスを崩し、音を立てて後ろに倒れた。ごうかいに倒れたため壁に立て かけてあった釣りざおや長い網、つるしてあったバケツやタライがいくつも落ちてきた。 太一のまぬけな声に直介と直介は笑っていたが、裕也だけは冷静に転がってきたバケツ を拾い上げて考えていた。 「これ使えばうまくいくかも…」 「えっ?」 裕也の言葉に二人とも耳を傾けた。

「裕也、何か思いついたのか?」

「うん。紙とペンはある?」

絵を書いて説明するつもりのようだ。

「わかった。おれの部屋に行こう」

三人はあわただしく、太一の家の階段をかけのぼった。

「ほら、これ使え」

太一は勉強机に乱雑に置かれてたノートとボールペンを渡した。

「さっき考えついたんだけど」

裕也は開いたノートのページに長い線を引いた。

「さっき納屋に釣り竿がいくつもあったでしょ。ああいう長いものに何個もバケツをつ るして両端からゆらすんだ」

裕也は長い棒を両端からささえている絵を書いたが、二人はまだピンときていないよう だった。

「バケツ底に穴をたくさん空けておけば、ゆらすとエサが落ちるでしょ」

「そっか。防波堤の端から端でエサをつるして、少しずつ落としていくわけか」

直介が理解した。

「これなら、おれたちだけでもできるな」

裕也の名案に四人は興奮した。

「でも、防波堤の端まで届くほどの長い棒なんてないよ。バケツだってもっとたくさん 必要だろ」

直介は珍しく冷静に現実的なことを言う。

次から次へと問題がふりかかり、誰かがため息をもらす。

くじけそうになるが、救世主は意外なところにいたりする。

部屋で静かにしていると太一のお母さんがふすまを開けて、「みんなで食べなさい」と 皿にのっけた果物をだしてくれた。

裕也は誰かが手にとる前に、フォークがささったパインと白桃を見つめた。

「ちょっと待ってください」

急に大きな声を出した裕也に、二人が何もわからずに静止した。太一のお母さんも閉じ ようとしたふすまをに手をつけたまま立ち止まっている。

「おばさん、この果物は缶に入ってましたか?」

「えっ、そうだけど……」 太一のお母さんはたどたどしく答えた。

「缶はありますか?」

裕也の聞き方はおかしかった。

「まだ捨ててないから台所にあるけど……」

「これだ」

「そうか、これか」

裕也のつぶやきに太一も気がつく。直介も後に続いて三人は太一のお母さんを置き去り にして階段を下りていった。居間を抜けて、台所へ向かう。洗いものと一緒に缶は流しに おかれていた。

「これを使えば……」

缶を手にとった太一は裕也に笑みを浮かべながら視線を送った。

「これならバケツの代わりになるね」

裕也も笑顔だった。

空になったフルーツの缶なら簡単に手に入る。各家庭からゴミに出される前にもらえば いいのだ。上部に棒に通せるわっかやヒモをくくりつけて、底にはキリでいくつも穴を空 けておく。そうすればゆらしたときにエサが落ちていく。

「あとはこれをつるすための棒だな」

直介は自分の手柄のように得意気に言う。

「……」 太一が腕を組んで真剣に考えこんでいる。

「たぶん長い釣り竿じゃ無理だ。もっと頑丈でしっかりしなるやつがいい」

太一の言葉は何かを明暗を出しそうな雰囲気だった。

「何か心当たりがあるの?」

裕也がたずねると

「漁で使う網にがんじょうな鉄線がとおってる。それを使えば防波堤の突堤まで届くか もしれない」 太一が持つ着眼点で計画は前に進みそうだ。

「勝手に取ったらさすがにじいちゃんも、父ちゃんも確実に怒るだろうな」

「どうするの?」

「なんとかする」

太一はを息を飲みこんで決心した表情だった。

直介たちの計画の第二段階は太一の交渉にゆだねられた。三人はその夜は布団の中でお 願いするのを忘れなかった。

太一から連絡を待つ間に、直介と裕也は次の行動に移った。

空き缶集めだ。朝から二人で近所をまわり、ゴミに出される前の空き缶をもらっていく ことにした。だか、予想していたほど多くは集まらなかった。

野菜や魚は島でとれたものでまかなうので、缶詰めを買う家庭は少ない。缶を分けてく れたのは子どもがいる家庭で、おやつのための果物が入ったものがほとんどだった。 「これだけあればなんとかなるだろ」

二人は大きなポリ袋いっぱいに空き缶を集めた。なかなか骨の折れる作業だったが、計 画のためとなればどうってことなかった。

二人は休憩するための直祐の家の縁側でジュースを飲むことにした。直介が台所でグラ スに氷を入れて炭酸飲料を冷蔵庫から取り出したとき玄関の電話が鳴った。

プルルルル……。プルルルル……。

「裕也、電話出て、早く」

直介は冷蔵庫を開けたまま裕也に呼びかけた。

「えっ、出るの? ぼくが?」

「はやくしろって、太一かもしれない」

「わっ、わっ、わかった」

太一かもしれない。そう聞いた裕也も立ちあがり期待して、玄関に向かった。

「はい、え~っと……」

裕也は、自分の家ではないからなんて名乗ればいいか迷って、おかしな声を出してしま った。

「あれ、裕也か?」

落ちついた声は聞き覚えのある声だった。

「あっ、太一君?」

「ああ」

「あのね、直介君の家にいるんだけど、直介君は今手が離せなくてね。それで……」

裕也はなぜだか急に、高速で電話口に向かって話してしまった。

「裕也、お前どうしてそんなにあわててるんだ?」

急にたくさん話はじめた裕也に太一は冷静に聞いた。

「あっ、ごめん」

なぜだかあやまってしまう裕也だった。

「とくかく、今からすぐに防波堤にこいって。直介にもに伝えろよ」

期待させるように太一は言い放った。

「どうしたの? もしかして昨日の……」

「いいから、来ればわかるって」

いい知らせということを聞いて、裕也も興奮していた。

「わかった。すぐいくよ」

裕也の言葉の後にプツッと電話が切れた。

「太一か? なんだって?」

いつのまにか隣に立っていた直介が裕也に聞いた。

「すぐに防波堤にこいって。昨日話してたこと、うまくいったみたいだよ」

裕也はうれしそうに伝えた。

防波堤に到着するころには直介と裕也の首すじから汗が流れていた。

日差しの照りつける昼間の防波堤は漁船は少なく、カモメが上空で鳴いていた。

「お~い」

五十メートルくらい先に太一が小さく見える。なにやら、足元を指さしている。 直介も裕也もゆっくり自分の足元に目線を落とすと、長い鉄線がずっと太一のいるとこ ろまで続いている。

「これで、絶対にうまくいくぜ」

太一は得意気な顔で言った。

「太一君、これってどこから持ってきたの?」

「漁で海に沈める網に長い鉄線が通ってるっていったろ。それを使わせてくれってじい ちゃんと父ちゃんに頼みこんだんだよ」

これなら役に立つかもという発想は普段から漁の手伝いをしている太一だけのもの。

「すごいね。ぼくたちもう空き缶集めてきたからすぐに取りつける作業をはじめよう よ」

「よし、善は急げだ。はじめようぜ」

「ちょっと待て」

直介は鉄線を持ち上げようとした太一を止めた。

「これじゃ、たぶん防波堤の端から端まで届かないんじゃないか?」

直介は一度、防波堤を見回した。

太一も同じように防波堤の先に目をうつした。

鉄線の長さは十メートルくらい、防波堤の突堤から突堤までは十五メートルはある。 これではいくらエサの缶を鉄線にくくりつけることができても、鉄線を海にかけること ができない。

「確かにそうかもな……」

太一がしまったという顔をしながらあごをさわった。

しゃがんでいた裕也も立ち上がって海を眺めている。

「突堤ってどこのこと?」

話の内容について裕也が質問した。

「突堤っていうのはあんなふうに防波堤の突き出た部分のことだを言うんだ」

太一は知らなかった裕也に指さしながら説明した。

「船があれば、突堤から突堤まで届くよね」 裕也は教えてもらった言葉をすぐに使いこなして、提案した。直介も裕也の提案に同意 した。 太一が口を固く結んだままでいる。

「小さいエンジンつきの漁船、かりれないか頼んでんみる」

「うん、でも……」

直介は期待しないほうがいいとわかっていた。

「ぼく、漁船の中ってどんなふうなってるか一度見てみたいな」

裕也が好奇心でつぶやいた。

「見るだけならいくらでもいいぜ。裕也、ついてこいよ」

だけなら……。その言葉に直介は少しむなしさを感じた気がした。

直介と裕也は港の地面をけって停まっていた漁船に飛び乗った。その姿を見て裕也は急 におじけづいた。

「待ってよ。二人みたいに飛べないよ」

「大丈夫。そんな距離はない。はじめてだからそう見えるだけ」

「でも」

直介は裕也のよわよわしい声を聞いて、自分の昔の姿を思い出した。

「手を出しててやるから、飛んでこい」

裕也は太一の手をつかまず、体の浮かせて船体に足をかけた。

「な、簡単だろ」

「うん」

裕也はほこらしげに言う太一にうなづいて、興奮しているようだった。すると直介たち の様子に気がついた太一のお父さんが声をかけていた。

「太一、まだ家に帰ってなかったのか? 早く帰って母さんの手伝いをしろって言った だろ」

怒り気味の太一の父さんからはたばこのにおいがした。

「父ちゃん、ちょっとお願いがあってさ」

「また、くだらない遊びか?」

直介と裕也は太一の後ろに立ったまま。けど、太一の話をまともに聞いてくれるよう な態度ではなかった。

「あのさ、こいつ裕也。今だけ瀬那津島に遊びにきてる」

「はじめまして」

裕也は挨拶した。

「ほう、こんな何もない島にようこそ」

裕也があいさつして頭を下げると、太一のお父さんは島の皮肉をくわえて少しだけ微笑 んだ。

「あの、こいつの父さん大学の教授でさ、それでヤコウチュウっていうめずらしい光る クラゲを探してて、もう探したんだけど、それで写真を撮りたくてさ……」

太一の説明はたどたどしくて、全然伝わっていなかった。

「おじさん、お願いします。ヤコウチュウいどころをつかんだんです。防波堤の先に出 るために船をかしてほしいんです」

直介は緊張しながらも自分たちの思いを伝えた。言葉は短かったが直介にはこれが限界 だった。

「だめだ。ボートを使わせたら、おまえたち絶対に危ないことに使うに決まっている」 太一のお父さんは直介たちの要望には応じてはくれなかった。

「父ちゃん、たのむよ。裕也もせっかく瀬那津島にきてるんだし、ヤコウチュウの写真 を撮りたいんだ」

太一がうったえるように言ってもおじさんは意見を曲げなかった。

「ダメだ! 大切な仕事道具をおまえらにかすわけにいかない」

太一のお父さんは声をあらげた。

「太一、早く家に帰って母さんの手伝いをしろ。夏休みの宿題もちょんとやれ。ほら、 早くおりろ」

これ以上たのんでも、太一の父さんは納得してくれないだろう。

「あとでじいちゃんにもたのんでみる」と言ってそのまま帰ってしまった。直介と裕也 は期待できないことはわかっていた。

二人は家に帰るわけでもなくそのまま歩いて公園までいき、ブランコにゆられていた。 「あれだけおねがいしてもダメだったら、船をかしてもらうのはムリだ」

「そうだね。太一君のお父さんけっこう怒ってたもんね」

直介も裕也も、もうあきらめるしかないと気持ちが声にこもっていた。下を向いて裕也 のほうを全然見ない直介は裕也の声に反応しなかった。

「今日はもう帰るね」

裕也の声も落ちこんでいる。

「裕也、おまえいつ帰るんだっけ?」

「明後日だよ。じゃあね」

そう言って裕也は公園の砂利の上を走って行った。公演はスズムシの鳴き声がうっすら と響いていた。

ヤコウチュウを群れを写真におさめる計画は停滞してしまった。

翌日も直介はラジオ体操に行ったのだが、裕也も太一もきていなかったことにふてくさ れて朝ごはんを食べた後は、宿題もやらずに部屋でゴロゴロしていた。ヤコウチュウのこ とを考えてはいたが、もう打つ手がないと思っていた。

直介はなにもやる気が起きなかった。すると一階の玄関から電話の音が聞こえてきた。 直介はすぐに階段をかけおりた。電話の声は太一だった。

「交渉うまくいったぜ。船かしてくれるって」

「えっ、ほんとに?」

直介はおどろいた。あんなにダメと言ってたおじさんにどうやって納得してもらったの が不思議にも思った。

「でも。条件付きなんだ」

「ん?」

「じいちゃんと、とうちゃんが船に一緒に乗るって条件。子どもたちだけで船に乗るの はダメだって」 直介も船をかしてもらえるならどんな条件もしかたないと思っていた。

「これでヤコウチュウを写真に撮ることができるな」

「あっ、うん。そうだな」

「なあ、裕也も呼んでもう一度作戦会議しようぜ」

 「ああ、もう一回集まろう」

「任せろ。すぐに裕也をつれていく」

直介はまたワクワクしはじめた。

 

直介と裕也はまた太一の家の玄関にきた。

「おう、はやく上がれ」

太一は二階の窓から顔を出して、二人を呼びこんだ。

「ねえ、船を動かしてもらうなら太一君のおじいちゃんとおとうさんにお礼をいったほ うがいいんじゃない?」

裕也の提案は正しき少年の礼儀だった。

「じいちゃんたちまだ帰ってきてないぞ。それに船を動かす日をちゃんと決めておけっ て言ってたな」

直介は裕也が二日後には帰ってしまうことを思い出した。

「すぐ、やろう。今日でも明日でもいい。なあ、裕也」

「うん。いいよ」

「じいちゃんたち遅くても夕方までには帰ってくるから頼んでみる。準備が整えばすぐ にできるな。裕也、しっかりカメラの手入れしておけよ」

「うん。楽しみだね」

太一はその日のうちに漁師のおじいさんとおとうさんに話をしてくれた。 直介の家で一緒に宿題をやっていた二人のもとに電話がきた。

「明日、陽が落ちたらはじめようって。うちのとうちゃんがみんなに連絡しておくっ て。明日の朝から準備しようぜ」

「うん。わかった」

直介は電話を切って受話器に置いた。後ろのに立っていた裕也にふりかえった。

「裕也、これでヤコウチュウの写真を撮れる準備が整ったな」

直介も興奮している。

「うん、きっとうまくいくよね」

二人とも興奮する声が居間にいる忠直の耳に届いていた。

 

翌日のラジオ体操には三人とも参加した。太一の家の蔵の中で準備作業を開始した。

「よし、準備開始」

太一の声が天井の高い蔵の奥にまで響いた。集めた空き缶にワイヤーを通すための穴を あけはじめた。底にはエサがまかれるように小さな穴をいくつもあける。手がヒリヒリ痛 むまでキリで穴をあける作業は三人とも真剣で口数が少なくなっていた。冷房のない蔵の 中には熱がこもり、もくもくと作業を続ける三人の額から汗が流がダラダラと流れたが、 三人とも手を休めずに作業を続けた。

長い鉄線にも固くワイヤーをむすびつけて、缶の上部にあけた穴とつなぐ。この作業も 慎重に行う。つけ方があまかったら海の上で鉄線を揺らしたときに缶が落ちてしまう。ワ イヤーを手で巻くのは力がいるし、力を入れすぎると指に食いこんで痛い。裕也は慣れな い作業に何度も苦戦していたが、心地いい空間だと感じていた。同級生と一緒に何かに夢 中になることがうれしかった。

「完成したら浜辺に持って行ってテストしようぜ」

準備作業はこれだけではない。大人たちが協力してくれるなら全力を尽くすつもりだっ た。

海岸まで鉄線を運ぶのも骨が折れる作業だった。

「よし、さっそくテスト開始だ」

「あれ、本番は誰が写真を撮るの?」

写真を撮るとなると、一人は防波堤でシャッターを押す役割が発生する。残りの二人は 船の上で鉄線を動かす作業となる。

「決まってんだろ」

太一がけっこう大きな声で、裕也の眉毛もぴくっと固まり、直介もくるっと振り向い た。

「裕也、おまえの誰のためにヤコウチュウの写真撮るんだ?」

「えっ? ぼくでいいの?」

「うれしそうだな」

太一と裕也の楽しそうな会話に直介は突然口をはさんだ。

「裕也、おまえ、小学校卒業したらどうするんだ?」

直介はあせった様子だった。

「ぼくは受験するつもりだよ。夏休みが終わったら勉強に集中しなきゃ」

「中学受験か。さすが優等生はちがうな」

「太一君と直介君はどうするの?」

「おれは家の手伝いがあるから、地元の中学にいくよ。お彩の仕事もしっかり手伝うつ もり」

「太一君はもう立派な漁師さんだね」

直介は答えることができないまま、「受験したほうがいい」がいいと言った父の言葉が 頭に浮かんでいた。

二人は素直に大人の言うことを聞いて自分の進む道を決めている。父のアドバイスもまともに聞けない直介は自分のことをちっぽけに感じた。

「直介君は?」

「おれも受験しようかな。島の外の学校も楽しそうだし」

その場をごまかすようなことしか言えなかった。

準備が整った後は太一の部屋でおやつ休憩をとっていた。日が暮れる前に太一のお父さ んの軽トラ部屋の窓から見えた。

すぐに鉄線を軽トラの上にくくりつけて固定してくれた。車に乗った三人は車がゆれる たびに車の天井のほうに目をむけて心配していた。

港についてリハーサルのため鉄線をつなぎ合わせ、漁船に乗りこむ。太一のおじいちゃ んとお父さんはいつもの船着き場ではなく、防波堤の階段状になっている場所に船をつけ てくれた。

鉄線の長さは約十五メートルなので、太一と太一のおじいちゃんの船と、その先に太一 のお父さんと直介と裕也、鉄線を持って一定の距離をとりながら船は浮かんでいる。夕方 四時を過ぎた瀬那津島の防波堤は波がずいぶん静かだ。

カランッ、カランッ。鉄線がゆれて。つるされた缶がぶつかる。

「直介、裕也。あんまりゆらすな」

そんなこといわれても、鉄線は妙にしなって、あつかいにくい。直介と裕也は二人でも 握っていても悪戦苦闘しているのに対して、太一は慣れた手つきだ。太一が力をいれれば 二人は力んで手元が狂う。双方の息は全然合わない。このままじゃうまくいかない。

陽はどんどん沈んでいき、本番の時間は近づいてきた。

陽が落ちると暗がりが深まるのが瀬那津島の特徴だ。今日は夜になっても気温がやや 高くて蒸し暑い。

作戦決行の時間は近づいてきた。

直介たちに協力してくれる大人は太一のおじいちゃんとお父さんだけだったはずなの に、防波堤には忠直に長谷部教授の姿、他の漁師。噂を聞きつけた同級生や父兄が集まっ てきていた。

船が沖にさしかかるあたりで、太一はバケツに準備した撒き餌を手で握り、海に放り投 げた。

しばらくすると、暗がりの海面にヤコウチュウが浮かんで、発光した体を見せた。それ はまるで彼らの「光ってくれと」という願いに答えている様子だった。

「ヤコウチュウ、いるぞ」

太一は数十メートル離れた漁船の直介と裕也に叫んだ。声を聞き取った直介もすぐに撒 き餌を海に放った。

同じく、ヤコウチュウは発光した。直介は汗をぬぐってニヤリと微笑んだ。

「裕也、準備いいか?」

「うん……」

裕也も緊張して返事の声が裏返っていた。

一度、裕也は船をおりて、写真を撮るために携帯電話を取りだした。

携帯電話を持つ小学生がめずらしいようで、近くにいた島の子どもたちも裕也の近くによってきた。

空き缶の中にはすでにエサのオキアミがパンパンに入っていた。鉄線を少しゆらせば棒 がしなる。

「裕也、準備いいか、はじめるぞ」

太一は島の子どもたちに囲まれている裕也に遠くから呼びかけた。

「直介、しっかり持てよ」

太一はしっかりリーダーらしくなっていた。

「太一、はじめるぞ。おまえが合図するんだ」

おじいちゃんに船の操縦をまかせた太一はスッと右手を挙あげた。 太一のおとうさんとペアになった直介も緊張で手に汗をかいている。

「いくぞ」

太一のお父さんの声で漁船はゆっくり動きだした。ニ隻の船が一定の距離を保ちながら ゆっくりと防波堤を離れていく。その様子を多くの瀬那津島の人々が見守っていた。これ から何が行われるのかわかっていない人もたくさんいる。防波堤で何がはじまるのか近所 の人たちが集まってきた。

「直介、ゆらせ」

さっきのテストでヤコウチュウが発光したエリアを定めた太一は手元の鉄線をしならせ て、直介に合図を送った。

それに反応した直介もエサが海に落ちるように力いっぱい鉄線をゆらした。

カランッ、カランッ。缶の底からエサが落ちて、呼吸するような間があいた。

フワッと海面に青い神秘的な光が見えた。その数は次々に増えて船に囲まれた海面をつ くした。その信じられない光景を島の人たちもしっかりと見ていた。

「裕也ー!」

太一が大きな声をだして呼びかけたが、裕也には届いているのかわからない。

横の突堤を走る人影が見えた。裕也だった。突堤を走る裕也の姿が見えた。

「撮れたよ、太一君、直介君」

息を切らした裕也は全速力で船に向かってさけぶ。声は全然届かないけど、灯台の灯り にい一瞬だけてらされた裕也の顔を見たら、写真がうまく撮れたことが伝わった。

「裕也、おまえもこっちにこい」 直介も太一も、感じたことのない喜びにつつまれた。

今度は、裕也も船に乗って、エサをまきヤコウチュウをおどらせた。そのたびに防波堤 に集まった島民のの歓声が起こった。

「すごいね。すごいね」

海の上でおどっているようなヤコウチュウの姿を見て、裕也は何度も目を輝かせてい た。

夜がふけると、漁業組合の集会所で大人たちの酒盛りがはじまった。今日のヤコウチュ ウの出来事がずいぶんと話題になった。

忠直は島の年配者に、「あのクラゲを島の名物にしたら、観光客が増えるぞ」と提案さ れてまんざらでもない顔をしていた。太一のお父さんも、長谷部さんも、みんなで宴会用 のテーブルを囲んで顔を赤くしていた。

 

裕也は集会所の玄関に座り、いつまでもさっきとった発光したヤコウチュウの写真を眺 めてニコニコしていた。

「裕也」

裕也が後ろをふりむくと直介と太一が立っていた。

「裕也、明日に戻るんだってな」

太一は悲しそうに聞いた。

直介は知っていたので、黙ったままだ。

「うん。ぼくの学校あんまり夏休み長くないんだ。それに目的の写真もとれたから早く 母さんに見せたいしね」

笑顔で答えている裕也に対して、直介はどうしても聞きたいことがあった。

「裕也、中学受験したら、どうするんだ?」

前に言ってたことを、どうしても最後まで聞きたかった。

「ぼくは父さんと同じような、研究をしたいんだ。そのためにいっぱい勉強しないと」 「高校にも、大学にも、行くのか?」

「うん。動物の研究や実験ができる大学にいくつもり」

「裕也なら、まちがいなくなれるよ」

 直介は自分のことを話さなくてはいけないと思った。裕也がこの島にきて、はじめて自分のことを考えた。不安だから父の言葉からも逃げていた自分に気がついた。すぐそばに いる友だちはちゃんと前を向いている。

「おれも、ヤコウチュウのような、すごい力を持った生きものこともっと知りたい。裕 也どうしたらいい?」

裕也はニコッと笑顔を直介にむけた。

「ぼくとおんなじだよ。いっぱい勉強して、大学に進むんだよ」

「二人で、どっちが学者になるか、競争だな」

太一がおもしろそうに笑った。

「おれもがんばるよ」

「直介、理科のテスト四十点だったじゃん」

「いいんだよ。これからがんばるから」

裕也の前で学校の成績をばらされた直介ははずかしがったが、楽しそうな笑顔がその気 持ちを打ち消した。

言葉には出さなかったが、直介も、太一も裕也がこのままずっと島にいてくれたら楽し い日々が続くのにと思っていた。

でも、もうすぐ、お別れだ。

「裕也、また瀬那津島に遊びにこいよ」

直介は裕也の目を見ていった。

「うん。絶対くるよ」

「次に裕也が島にきたときは山を探検しにいこうぜ。珍しい虫もたくさんいるし、絶対 おどろくぜ」

楽しい時間はすぐ過ぎてしまうけど、また裕也が瀬長津島にきてくれたらうれしい。

 

翌朝、朝一番の船に乗ることになっていた裕也を見送るために直介は忠直の車に一緒に 乗ってきた。

「裕也」

船付き場から大きな声で船に乗りこんでいる裕也を呼びとめた。

「あれ?」

太一も見送りにきてくれるものだと思っていた裕也に少し困惑した顔を見せた。

「きっと太一君は漁の手伝いだろう。彼はすでに立派に仕事をしているから仕方ない ね」

長谷部さんが裕也の肩をポンっと叩いた。

「忠直さん、直介君。どうもありがとう」

長谷部さんに続いて、裕也も頭を下げた。

「裕也、必ずまたこいよ」

「うん。絶対にくるよ」

船は汽笛を鳴らし、港を出て行った。

直介の視界から船が小さくなっていく。

裕也は雲一つない晴れ渡った空を見つめて、瀬那津島での出来事を思い返していた。

「裕也、こっち」

船の反対側に浮かぶ漁船を見つけた。裕也がハッと振り返って、漁船のほうをみると漁 船の甲板から手を振る少年の姿が見えた。

右手を空に突き出し親指でグッドサインをしている。

裕也はすぐに太一だと気づいた。

船が漁船が追い越していくあいだ裕也は太一に向かって、手を振った。

「ありがとう」

声はきっと風に流されて届かない。それでも裕也は懸命に手を振った。